1954-05-28 第19回国会 衆議院 労働委員会 第28号
われわれは、重役といろいろ折衝いたしまして、交渉をやりましたけれども、重役もとうとう東北興業やり方があまりにも一方的である、そういうことで、遂に五月十日ごろに、社長以下三人の重役が辞表を提出いたしまして、交渉相手を失つたわれわれはあくまでも残つた重役を相手に、事を円満に運ぼうと思いまして、建設省の企画部長あたりにもいろいろ話を持ち込んで参つておりますけれども、現在まだ事態は好転いたしておりません。
われわれは、重役といろいろ折衝いたしまして、交渉をやりましたけれども、重役もとうとう東北興業やり方があまりにも一方的である、そういうことで、遂に五月十日ごろに、社長以下三人の重役が辞表を提出いたしまして、交渉相手を失つたわれわれはあくまでも残つた重役を相手に、事を円満に運ぼうと思いまして、建設省の企画部長あたりにもいろいろ話を持ち込んで参つておりますけれども、現在まだ事態は好転いたしておりません。
例えるならば炭鉱の労働者が、炭鉱の坑内に入つて、そうして働く体制と、技術の効率化を考えて来る、かような方面におきまして、これまでのように主だつた重役技術者が派遣されるのではなくて、最も末端にあるところの労働者自身が、諸外国のいろいろなものを十分に見て来なければならないと思いますが、大臣は先日も先ず足許から固めて行かなければならんと言つておられますが、かような意味におきまして、各種産業の実際の面におきまする
課長の端々に至るまでこのような旧目発側の人間の冷遇を受けておるようなことについては、どのような御見解でながめておられるのか、それは日発から入つた重役が無能であつたからということで御放任になつておるかということが第一点。 第二点は東京電力の経理状態であります。私は紳士的な道義その他の関係からごごで明確に申し上げませんが、東京電力の経理状態は少くとも何がしかの含みがありそうである。
それほどの方が、十一億数千万という大金が偽名で銀行に預金されておるという事実を、いわゆる理事者の寄つた重役会で報告を受けなかつたということは考えられませんが、どうでしよう。
○篠田委員長 さつきあなたが言つた重役とか、職員とか、あるいは能力とか、そういうものは大体三〇%しかない。重役も常務と社長は專売公社から行つている、こういうふうにあなたは言われたですね。それ以上に何か特に專売公社との深い関係というようなものはないですか、たとえば塩回送会社から利益なら利益というものの何割か、あるいは何分の一か、そういうものが專売公社に返されるというようなことはないですか。
○説明員(松永安左ヱ門君) そらではありませんで、旧配電会社の人で新会社に入つた重役以外に、理事にもならず取締役又は監査役にもならずにやめた人も相当数あります。その数は今記憶しませんが、相当数に上つております。
従つてそのとき決定されておつた重役陣の変更は困難でありましようけれども、若し村上さんがこれこれ、これこれのものを九州の重役の中に入れでもらいたいという御発言があつたと仮定しましたならば、松永さんは、松本委員長の言われたような人事構成が電気事業の運営のために必須の用件であるとするならば、二、三の人に対しては十二分に村上君のお話を聞かれて、御選衡になる用意くらいはなからねば、今松永さんの言われたことは正当
それのみならず同時にそのときに私は、配電会社の方としては、従来の自分の方におつた重役全部を助けるというようなことなくして、片ぱしから首切つたらよいじやないかというようなことまで不遠慮に申し上げたような次第で、その間にえこひいきがあつたとは決して私は思つておりません。それからその書類が、ほぼ一冊でございますが、整いましたのが十六日でございますから、それから最近まで、非常に時間が短いのでございます。
見ておると、相当派手にやるけれども、そういうやり方なら間違いないだろうと思つて安心しておつた。重役会なんかあるときに行つて、宴席に連なるということぐらいが関の山でありまして、そのほかには何もありません。
○藤本證人 そのときの話は、私自体が聞きましたことは、新しく入つた重役だというように紹介をされまして、直接私一人の話でなく、全体に話したというように記憶しておりますが。
○武藤委員長 日野原氏が日本水素の社長になつて入れた重役、幹部職員と、それから昭和電工の社長になつて昭和電工に連れて行つた重役及び幹部、おもだつた者はだれですか。
それでその後一遍スクリーンを通した重役を、スクリーンを通す前に社員からあがつた重役でない。——一遍通した重役をまたやめなければならぬ。それから職員を大量に首切るという事実から……。